水にうつせば顔と顔とが応じるように、人の心は、その人をうつす。
—箴言 27 章 19 節—
『箴言』(しんげん)は旧約聖書に含まれた「知恵文学」と位置づけられるもので、古代オリエントにおける主に道徳上の格言や教訓を集められたものです。
さて、現在使われるガラス面を銀メッキした鏡(銀鏡)が広く普及したのは19世紀以降。それ以前、貴金属を磨いた鏡は高価かつ貴重でした。古の多くの人々にとっての身近な鏡とは「水鏡」、すなわち水面に映る姿であったと思われます。
日々の暮らしで姿格好を確かめる機会は決して多くはなかったことでしょう。故に桶や甕に汲んだ水、あるいは洗濯に向かう川や池のほとりで、波にゆらぎながら映し出される己の姿やその変容に驚くとともに、時には喜び、悲しみ、そして自らを省みる場面も多かったのではないか…。表題句からはそのような背景も感じられます。
「水面がその人を映すように、人柄もまた、その人の言動や生活に現れる…」。ガラス張りのビルに囲まれ、スマホのカメラで自撮り。現代人はより解像度の高い「表面」 を手に入れましたが、「内面」は昔と比べ、どこまで深められたでしょうか。
折しも先月は「保育園と国語力」について考える、多くの機会が与えられました。 日ごと成長著しい子ども達を前に、大人は、保育者はどうあるべきか? 自ら問い続けながら、年度後半に向け、一同保育の充実に励みたいと思います。(園長)