私たちは、互いに愛し合いましょう。—ヨハネの第一の手紙 4章7節—
日曜夜の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。普段テレビは観ないのですが、この時代の歴史好き、地元関東ネタ、三谷幸喜氏お得意の群像劇の面白さもあり、年明けからほぼ欠かさず視聴しています。
次週あたりで大泉洋氏演ずる源頼朝が、先に討伐したいとこ(木曽義仲)に続き、人質であるその息子を誅殺せんとします。少年期に父親を平家に殺された怒りを身をもって知る頼朝は「いずれ我が子にかかる、その根を絶つ」。そんな頼朝の無慈悲を責め、助命を求める妻政子や奔走する御家人…(続きはドラマをご覧ください)。
キリスト教も儒教思想も伝来以前の時代だけに、生き抜くためには同族でも容赦しない姿勢を、現代の価値観のみで単純に解釈することはできません。一方で洋の東西を問わず、古より人類は「目には目を」と「罪を憎んで人を憎まず」の間を揺れ動いてきました。事故、災害、戦争…心を折らんとする事態がいざ我が身に降りかかったとき、その仇を赦すことが果たしてできるのか? 裁くべき、絶つべきは「人」か、それとも「罪」か?
これを書く最中に、知床沖の観光船遭難のニュースが耳に入りました。ウクライナをめぐる情勢は報道の通りです。あらためて聖句の「私たちは…」を前に、かかる命題に未だ結論を出せぬ人間の弱さについて考えさせられます。(園長)